藤花幻:つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 9

「短編」
甲斐武田は戦国最強か

つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 9

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   9 武田家最強捏造作戦

 さて、そんな破綻大名が何故戦国時代最強だなどと言われたのであろうか。結論から言えば、徳川家が天下を取ったからである。
 織田家、北条家、上杉家に囲まれていた武田家にとって徳川家は比較的組みし易い相手である。それ故徳川家は常に武田家の脅威にさらされていた。織田家や北条家に比べれば貧弱だとは言え、戦国に名乗りを上げたばかりの徳川家にとって武田家はとてつもなく強大だった。三方ヶ原の合戦で大敗した徳川家康は恐怖の余り脱糞までした。刷り込まれた恐怖心は無視できないものがあったろう。
 徳川家は武田家滅亡の際、その遺臣の多くを召抱えている。三河の国と遠江の国に押し込められていた徳川家は、武田家滅亡と、その直後の織田信長死去に伴う混乱を得て、三河、遠江から駿河、甲斐、信濃、と領地を飛躍的に(というより唐突に)拡大させた。必然的に人材が脆弱となり、家臣団強化が急務となれば、現地の事情に明るい武田家遺臣を取込むのが最も効率的、かつ合理的だった。無論、取り立てるからには無能では困る。対外的には尚更だ。威信というものは馬鹿にできない。相手がこちらをどう見ているかは時として実際の実力以上の力を持つものだ。とすれば、徳川家は武田家臣団の優秀さを流布したとしても不思議ではない。
 天下を統べる存在となってからは宣伝活動の意味が益々大きくなった。数多の大名を抑える為にも家臣団の優秀さはよりアピールされねばならない。武田家由来の家臣に箔をつけるには前主武田家が強力であるに越したことは無いのだ。武田家旧臣達にしても悪い気はしないし、むしろ積極的に関与したことだろう。甲陽軍艦などまさにそんな背景をもって生まれたプロパガンダだったのではないか。
 また、徳川家は圧倒的優位な立場に立った時に限り、相手を持ち上げた。大阪夏の陣に於ける真田信繁は良い例であろう。これは、倒した相手が強力であればある程、倒した自己の力を誇示できるからである。「真田信繁はとにかく強かった。日の本一の兵だよ。まあ、徳川家には敵わなかったけどね。」・・・何て事は無い、相手を褒めている様に見えて実は我褒めだ。つまり、その究極の例として、徳川家と長年対峙してきた武田家は戦国最強でなければならなかったのである。
 おしまい。


 長々とお付き合いくださいましてありがとうございます。裏取りが甘いので所々おかしい部分もあるかとは思われます。が、これまでの常識が何処まで裏取りされているか怪しいものです(江戸時代の文献は歴史的資料としてはかなり問題がありますので、採用には値しないというスタンスです)。よって、飽くまで状況証拠優先。理屈優先。屁理屈奨励(笑)。一つの物語の様なものだと思って頂ければ良いんじゃなかろうか。うん、そうに違いない。
416つちのこ完全無欠の主観的歴史教室2
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~ Comment ~

^^

武田家は最強だったか?まぁ。武田家が滅んだ後に多くの遺臣を召し抱えた徳川家康。三方ヶ原での敗北を知ればこそ。武田軍兵の強さは実感していたと思われます(三河武士が弱かっただけ?)信玄が詠ったと言われる「人は石垣人は城」つまり「結束力」に欠けていたからこそ。その言が出たと考えます。「お館様~!by草刈正雄・最後の言葉w」真田昌幸は裏切り行為で有名でしたが。信玄には尽くしています。信玄いてこその武田家だったのでせう。勝頼の最後は痛々しいですな。織田軍に囲まれ(落ち武者狩りから勝頼を守るのも兼ねていたそうな)集団自決。哀れなのは嫡男・信勝。わずか16歳。他に織田信長の「信」を付けられた「松平信康」「長曾我部信親」将来を期待されていたのに。なぜ若死になんや?信長は碌なヤツじゃねぇなっ!え?結論はそこかよ^^;)/

こんばんは

徐々に面白くなってきたのにもう終わりですか。
なるほどと納得させられました、うん。

>倒した相手が強力であればある程、相手を褒めた。
その相手に勝った俺様はエライってね。
昨日、井上選手に惨敗したマクドネル選手は井上の事を、
「地球上で一番強い男と試合ができた」と語って、自分の価値を
上げようとしてました。家康と同じですね。

waravino様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
>>>信玄いてこその武田家だったのでせう
ですな。信玄在ってこその武田家。が、信玄さんは滅亡のお膳立てもしっかりして行ったの事ですよ。勝頼の運営姿勢は信玄のそれそのまんまです。旧臣達も信玄信玄で勝頼を軽んじていましたし、変えられなかったんでしょうな。実は勝頼は頭首ですらなく、頭首の代理、孫がいっちょ前になるまでの繋ぎだよと信玄さんが宣言して行った訳ですから余計です。そういう意味でも勝頼の最後は痛々しいですわ。親爺の付けを払わされた最後だったと思います。

PS:信長は敵に対しても非常に温情有る人だったようです。反乱を起こした荒木村重には態々使者を立てて事情を聞いてますし(無視されましたが)、「あの」松永久秀ですら三度許されています。忠犬権六などと呼ばれていますが柴田勝家は信長に謀反を起こした程の人です。それが宿老として重用されているのだから驚き。ただ、信長は道理に合わない事や詐欺まがいの行為には容赦しませんでした。一向宗とか延暦寺、既得権に胡坐をかく足利勢力とかね。それ故に非道な様に思われていますが、敵に厳しいだけの大将の組織がああまで急激に大きくなれる筈はありません。組織は大きくなれば人材が必要です。尾張の子飼いの人材だけで足りる訳が無いのです。

エリアンダー様へ

>>> 徐々に面白くなってきたのにもう終わりですか。
 面白がって頂ければ幸いです。が、長くは続きません。こんなもんです。
 自分を負かした相手を悪く言う人がいますね。悔しいのは判ります。でもそれって、そんなヘボチンに負けた自分はもっとポンコツだったと言ってるようなもんです。自分を負かしたくらいなんだから凄い奴なんだと言っといた方が潔くも見えて株も上がるのにねぇ。そういえばオリンピックなんかでも、自分を負かした対戦相手が上位に行けば敗者復活に廻れるなんてのがありましたね。
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