藤花幻:つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 6

「短編」
甲斐武田は戦国最強か

つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 6

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   6 信玄公、遅まきながら上洛の徒につく

 嘘である。
 身もふたも無い出だしだがこれも事実。1572年、晴信は上洛軍を起こした・・・とされるが、そんな事はありえない。
 武田軍は天竜川を下り、三方ヶ原で徳川軍を破っているが、さて、此処から京に上ろうとすると直線距離でも180kmもある。その間には遠江、三河、尾張、美濃、近江があり、全てを討ち破り占領しながら進むなど現実的ではない。占領したばかりの領地を背後に突き進めば兵站が確保できよう筈も無く、補給線が伸びきったところで遮断されれば一巻の終わりである。織田家が岐阜から同盟国の浅井家の領地を進んで上洛戦を開始したのに比べ、その距離はあまりに遠すぎる。
 また、旧態依然の武田軍組織では一年以上の遠征など物理的に不可能だった。配下の豪族は春と秋の農繁期には帰ってしまい、軍勢そのものを維持できないのだ。
 更に言うならば、最大動員兵数の問題がある。上洛軍は約3万人と謳われているが、武田家の最大石高120万石を動員兵数に置き換えるとやっと3万人でしかなく、北の上杉家や東の北条家に備えたとしたら(無論備えない筈は無い)、上洛軍として率いられるのはせいぜい2万人が目いっぱいというところだろう。思い切り水増しして3万人にしたのだとしても、織田家の上洛時の6万人(実態は4万人弱か)に比べはるかに少ないし、弱体化した相手(三好氏、六角氏)を将軍足利義昭と言う大義名分を擁した上に援軍まで引き連れて相手にするのと、自分の三倍にも膨れ上がった相手(織田家)を単独で相手にするのでは訳が違う。当時の武田家が織田家を一気に滅ぼし天下に号令を下そうとしていたなどと言うのは余りに乱暴な空論でしかない。
 今までの武田家の勢力拡張を年表にすれば判りやすいが、とにかく牛の歩みである。遅い。無論地域的な要因もあろうが、織田家の勢力拡張に比べて何倍もの時間を費やしている。そんな勢力がまだ都との間に幾多の国をおいている状態から上洛を考えるなどあろう筈も無い。現実的に考えれば遠江の侵食、踏み込んだとしても徳川家の臣従化を狙った領土拡張策だったのだろう。
 1573年、晴信は陣中で没する。平野部への進出はひとまず延期。ツケは次の頭首である武田勝頼に回された。

武田 無理
 同じ地図に時代の違う二つの侵攻を描いたので多少おかしな地図になっているが、織田の「上洛」と武田の「上洛」の差が良く判る。
 織田の本拠地から京は目と鼻の先。しかも途中までは同盟相手の浅井領。武田とも一応不戦同盟関係に有るので後顧の憂いは皆無。
 一方、武田の進軍経路は敵対関係の徳川を通過し、更に三倍の国力を誇る織田の本拠を貫かねばならない。しかも背後には宿敵上杉と、例の一件以来相互不信の北条である。これ、もう無理ゲー。
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