藤花幻:つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 2

「短編」
甲斐武田は戦国最強か

つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 2

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   2 袋小路よ甲斐の地は・・・

 武田家の本拠地と言えば言わずもがなの甲斐の国。内陸の国で他国にぐるりと360度囲まれており、その防衛は大変と思いきや、実際は日本有数の険峻な山々に囲まれた天嶮の要害の地。点とも言える三ヶ所の守りを固めれば良いと言う非常に守りやすい地形をしている。その三ヶ所と言うのが南の駿河口、東の相模口、北西の諏訪口である。駿河口は富士川の深い渓谷に沿っての隘路が延々続いており、大軍が動くには何とも不都合な道である。相模口にしても相模川上流の山道は南からのそれに負けず劣らず厄介だ。諏訪口は佐久からの入り口も兼ねており三つの入口の中では最も容易な道だが、それでも釜無川沿いの平地はさほど広いものではなく、守りには非常に都合の良い地形をしている。長年、武田氏が此の地で命脈を保ってきた所以であろう。
 だが、それは同時に外への進出に対しては大いなる足かせになってもいた。進入され難い地形という事は出て行き難いという事の裏返しでもあり、何処へ攻め込むにしてもその進軍には大変な困難が付き纏っていたのだ。しかもその三つの出口の内二つの先ににいるのが北条氏と今川氏という強大な大名である。
 生憎、甲斐の国は生産力も低かった。険峻な山々が三方からせり出しており、生産拠点と言える土地は狭い甲府盆地くらいのものであった。大月など山間の谷間でも多少の農産があったが、壮年期の山地である甲信の谷は狭く、土地は痩せており、石高の上澄みに貢献できる程の収穫は見込めない。甲斐の国の石高は22万石でしかなかった。晴信(信玄)が父信虎から(無理やりにだが)跡を継いだ時点で既に国内の統一はなされており、国内の敵は(一応)無かった。これは甲斐の国を守るという意味で条件は良かったと言えるが、北条家、今川家は当時それぞれ50万石以上を有しており、逆立ちしても勝てない相手であった。
 そんなこんなで、勢力を拡張しようとすればおのずと北西の諏訪口に活路を見出すしかなかった。

甲斐の国
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