藤花幻:つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 1

「短編」
甲斐武田は戦国最強か

つちのこプロデュース完全無欠の主観的歴史教室 1

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416つちのこ完全無欠の主観的歴史教室
 え゛ー、いきなり何を言うってな掲示板から始まりましたる今回の記事。ずばり武田フリークに喧嘩売ります企画第一弾であります。今回、以前から折に付け主張しております「武田なんざ大した事ねーよ」を纏めた文章が出土しましたので、連載ものとして掲載する事にしました。NHKでも民放でもドキュメントでもドラマでも、とにかく「武田家が一番じゃなきゃ嫌だい嫌だい」言い張る風潮に、ちと待てぃ、小説のイメージ取っ払って理屈で考えてみぃやと物申してみましょうって事ですよ。
 いや、別にネタが無いからこれでお茶を濁そうってなもんでは無いですよ。はい。無い筈です・・・。
 それでは武田派の皆様は腸煮え滾らせて、アンチ派は溜飲下げてお楽しみください(笑



   1 所詮は財が物を言う

 120万石であった。
 信玄の武田家が戦国最強であったと思いたい武田フリークの方々は聞きたくもない事実かもしれないが、残念ながら武田家の石高は最盛期でも120万石でしかなかった。
 戦国時代の勢力地図を見てみる。1574年、べた塗りの日本列島の真ん中にどーんと鎮座するその勢力は見た目最大である。ところが石高はと言えば推定120万石と、同時期の織田家400万石、北条家240万石に比べても圧倒的に見劣りする位で、一万石当り250人の動員兵数(飽くまで基準程度)に当て嵌めると最大動員数がやっと3万人。世間の高評価に対しその実態は随分貧相であったといわざるを得ない。

1575年 長篠の合戦当時勢力図
 長篠合戦前夜のべた地図。領土的には武田家の最盛期であります。実は晴信の時分じゃなくて勝頼の代の時なんですな。しかし流石は武田家。日本のど真ん中にどーんと鎮座する所領は正に当時最大!!
 え゛、織田とどっこい?いやそれがね、この頃は領地は獲ったり獲られたりで今一確定できんのよ。よって多少の入り繰りも有る。勿論出典によっても様々なのでこれと定めるのは無理。だいたいこんな所って事で。
1575年 長篠の合戦当時勢力図 耕地
 でも、人間活動の活発な地域を塗りたくってみると力の差は歴然。此処に金山や港、座などの利権が絡んでくるので多少の修正はかかりますが、当時はマンパワー=国力ですから、基本人間の多い方が勝ちなんです。
 参考までに現在の衛生写真も載せて見ました。多摩地区は第二次大戦後の大規模造成によって市街化しましたが、当時は山ばかり。また利根川(荒川)水系付近は大湿地帯なので生産活動は低かった。
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~ Comment ~

NoTitle

財が物を言うとは、すなわち米の産出量、すなわちGNPのことですか。
とすれば、平野の多いほうが圧倒的に有利のように思えます。
地図を見ると、武田の赤がかなり広そうに見えます。日本の中央にあります。
当時は、御所がある空色の京都大阪方面に近いので、位置的にも有利だったのでしょう。
武田家は長野の山奥だったと思っていたので、相模湾に面しているのが意外でした。
しかし衛星写真を見ると山が多く、海は少ないので、かなり不利のようです。
うちの近所にスーパーが2軒あるのですが、どちらも閑古鳥が鳴いています。
どうも原因は、位置的に客が来にくい場所にあるせいのようです。
領土には、金山や港、座、湿地帯などの条件も絡んでくるのでしょうが、
やはり面積よりも位置がどこにあるかがポイントのようじゃないですか。
シベリアやグリーンランドのような土地なら、あげるといわれても要りません。
地方に行って豪邸を見ても、ここなら住みたくないなあと思うことがあります。
2枚目の図のそれぞれ中央付近にある薄い色は、失ったこともある領土の意ですか。
徳川の薄緑が一番狭いのに全土を支配したというのは、やはり頭脳が制するのでしょうかね。

金の力バーソ数の暴力様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
 GNP、懐かしい言葉を聞きました。確かにGNPみたいなもんですね。現代に於いては国の力をGDPにより表している事が多いですが、GDPだと国内で外国人が稼いでもカウントされてしまいますし、逆に海外で幾ら稼いでも反映されないので、海外投資に積極的な日本経済の実態はあまり正確には出てきません。某国の一人当たりのGDPなんかも以前より随分上がっていますが、利益は国民には還元されずに株主のいるアメリカへ駄々流れ。もっとも、実際にはタックスヘイブンへ潜ってしまうのでアメリカの政府にも庶民にも還元されてないんですけどね。あ、脱線失礼。
>>>武田家は長野の山奥~中略~相模湾に面しているのが意外
すみません、駿河湾ですorz
>>>2枚目の図のそれぞれ中央付近にある薄い色は、失ったこともある領土の意ですか
すみません、人口密集地ですorz
 ま、でも言いたい事はまさにその通りで、国力とは単なる面積ではなく、人口=動員力=生産力であると言う事です。位置関係も勿論重要ですよ。が、その位置関係が重要と言うのはつまり、周囲にどれだけの人口があるかと言う事ですからね。此処で言う人口とはアクセス出来る人口でありまして、徒歩でてくてく歩くか船でのたくた行くのが主体の戦国時代と、電車や車や飛行機でバビューンと移動出来る現代とではちと条件が異なってはきますが、古今東西変らぬ大原則です。
>>>徳川の薄緑が一番狭いのに全土を支配した(実際は人口密集地)
 あ、これね、結構重要な意味を持っています。後々触れますが、徳川は武田に領地を掠め取られながらも、しかし人口密集地だけは死守していたって事なんです。弱いながらも此処だけは譲れない一線だったんですな。三方ヶ原の無謀な戦も実はこれが要因なんです。

そういう話はよそう……「信長は人物としては二、三か国をまとめる程度の器量しかない」とか、「エポック『戦国大名』上杉圧倒的有利説」とか、「武田勝頼よりも、国を長く維持ししかも戦国期を生き抜いた今川氏真のほうが上」とか、誰もが傷ついて終わる話になるだけだ(笑)

それはそうと、謙信が急死せず、上洛をもくろみ織田と正面から決戦したら、という「謙信上洛」という面白いゲームがあるけどやらんかね(笑)

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NoTitle

戦国時代の財力や兵力に疎いんですが、
人力はどうだったんでしょうか。
この地図を見ると徳川家の勢力が異常に
小さいですが、独特の存在感がありました。
本田という優秀な家来(人的資源)をもっていた
おかげでしょうか。

ポール・ブリッツ様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
 ほうほう、信長・秀吉フリークのわたくしめに、信長の悪口を言うとは良い度胸だ。歯くいしばれー!!(笑
 上杉政虎が神掛って戦に強かったのは否定のしようも有りません。商売もそこそこ上手く財政面もまずまずでした。が、彼は統治能力が決定的に劣っていました。潔癖すぎるのです。潔癖な人間は往々にして周りにも潔癖を強います。でも大概付いていけません。その為始めから終わりまで常に部下の離反に悩まされました。関東出兵も圧倒的有利な立場でありながら失敗、折角占領した関東の沃野は直ぐ北条に奪い返されています。彼の様な堅物は海千山千の北条氏康にしてみれば敵ですらなかったのかもしれません。そんな人物が京に攻め上ったところで、例え緒戦では勝てても最終的には逃げ帰る羽目になったと断言します。京は魔窟です。唐変木には荷が重い。呂布じゃないが「最強」は勝ち残れないのが世の常ですよ。
 今川氏真さんと武田勝頼(笑。自らの無能故に流れに身を任せた人物と、己の才能を信じ挑み敗れた人物では、どちらが上とかそういう比較はするだけ空しいだしょ。
 

エリアンダー様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
 人の力は確かに大きいですね。本田?個人名であるなら本多正信でしょうか、それとも本多忠勝?しかしこの時期の支柱は酒井忠次、石川数正ですし御寿司。でもまあ、そこそこの人物は居ましたが、綺羅星の数多居る織田に比べて粒は小さく未熟です。
 この時期、徳川は一応独立した大名ではありましたが、実態は織田家の東海道方面軍みたいなもんです。独特の存在感というのもやはり後世の後付でしかなく、当時は逐一信長から指示を受ける存在でしかありませんでした。例えば三方ヶ原では信長から絶対に戦うなと厳命されていた様です。結果は違反する形になってしまいましたがね。
 徳川の家臣団が本当に力を付けていくのは信長の死後です。所領を増やし、旧今川、旧武田の家臣を吸収し、それなりの影響力を持つようになって初めてそれに応じた能力を身に付けたというべきでしょう。織田家ですら例外ではないのですが、一地方の小大名の家臣に天下を経営する程の力が始めからある筈は無いのですわ。

盗人武田猛々しい(たけだしんげん?)

おはようございます
(日曜の22時でございます)
金曜日の放課後から「のみっつめ」で
昼寝から戻りました・・・・とほほ


本日解ったことがありました
貴ブログの過去記事のひとコマ目に


馬鈴薯がありました
これって
『めんくい』とメイクィ~ンを懸けたものだったのですネ


あはは



実はつちのこ殿は
地政学の大家(たいか)だったとは


おそれいりました。



へへ




はしびろこうの生卵掛けご飯・ウナ重肝吸い付き様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
また随分と前の記事ですな(笑)。確かにその通りでございます。猫のメインクーン、五月祭りのミスコンqueen、馬鈴薯のメイクイーン、でもって惚れっぽい面食いタロさでありました。チャンチヤン。
 地政学の大家かどうかはともかく、大食いならだれにも負けません。山梨と言えば桃に葡萄にほうとう、長野と言えば杏子にリンゴに蕎麦、観光に行くなら最高ですよ。

武田信玄は戦国最強だと言われてましたね。

武田信玄が病魔に侵されなければ、天下は武田信玄が獲っていたと言われてます。
当時はマンパワー。人間が多くうまく統率できれば勝てる時代でしたからね。
今の時代はテクノロジーの時代だからそうはいかんでしょうね。

今回のサッカーW杯でも強豪国の波乱が多いのも、強いものがいつも勝つのではないと言う事でしょうかね。
http://myworld2013.blog.fc2.com/blog-entry-971.html

想馬涼生様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
そう、世間の定評に真っ向からNOを言い放ち、「武田信玄ごときがなんぼのもんやぁぁぁぁ!!」と叫ぶ佐竹の子孫(自称)であります。いや、実際はその下の多賀谷氏の家臣の、しかも国替えの際に付いていかなかった土豪の末裔なんですがねorz
 当時はマンパワー。その通りです。が、人口から言うと甲斐や信濃の人口は実に希薄で、尾張一国に敵いません。つまり、数の面でも武田に目は無かったのでありますの事よ。病魔に犯されるまで動くに動けなかったのが動かぬ証拠(笑)。最後の最後で焦って無理して命を縮めたと言うのが本当の所じゃなかろうかね。

PS:サッカーは大国だろうが小国だろうが11対11。条件は対等なのであります。国家同士の出場選手無制限無差別級選手権とは違いすぎますがな。
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