藤花幻:22 港の風景

シャノン・アルスター幻想

22 港の風景

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 22 港の風景

 此処ポーの町はカレドニア山脈からソルウェイの流れに交わるポー川の中州に開けた河港都市である。合流部分はカレドニアからの山岳氷河が刻んだU字谷の末端に当たり、ダグルスの支配の終えた現在では溺れ谷となっていた。街の乗る中州は削り残された岩盤そのもので、周辺の水深は深い。一方でポー川自体にはさほど水量がある訳ではない為に合流分の流れは大変穏やかだ。分流する支流の出口は堆積した土砂が浅瀬をなし、上流に向けて入り江状になっている様はまさに船の係留に最適な天然の良港。しかも、背後にはウォルデンフォルドの穀倉地帯を控えながら、王都との間には狭隘な山道を挟む立地となれば、水運の重きは説明するまでも無い。シェリダニアの物流の要と言えるポーの港町は、ソルウェイ河に数多ある河港の中でも最大級のものの一つであった。
 商船が一隻、帆を上げた。河を北へと向かうのはリントールのカークス港か、ハーフェンを越えてアイリーズの海へ出る船だろう。川を直接横断するのは小さな船ばかり。河港は数多く在るとは言えど、大型の船が接岸出来る津は限られる。南へと遡るのはレネダリアのカービスかグラザリア・ディラードへの船と見て間違いは無い。そして此処にも一隻、出航を控えた船が在った。
「さっさと荷物を積み込まねーか野郎共、もたもたしてやがると船ぇ出しちまうぞ!」
 大きな船の甲板から、ぼさぼさ頭の男が身を乗り出して怒鳴った。眼下には大勢の人足達が荷を運ぶ。上半身をはだけた筋骨たくましい男達はそれなりに手際良く捌いてはいるが、何分荷物は数が多い上に大きく重い。
「ハハハッ、積荷置いてってオールドの爺さんにお小言喰らうのはあんたなんだぜ。」
 人足達は陽気に応えた。上の言う事など所詮は無理難題。一種の口癖の様なものだから一々真に受ける筈も無い。
「約束の日時迄に船が着かなかったら小言じゃ済まねえんだぞ。そうしたらお前等皆纏めてこうだ。」
 男は右手を首のところで横に引いてみせた。
「別に構わねえよ。けど次にまた一から人手を集めるとなると大変な事だろうなぁ。」
 人足達はからからと笑って親指で背中の波止場を指し示した。成程、人足達の余裕の表情も腑に落ちる。何処もかしこも荷の積み降しに慌しい。特にばたばたしている現場は人手の無い証拠だ。荷捌きに不慣れな若者も目立つ。慣れた人足となると引く手には事欠くまい。
「ケッ、これだから擦れっ枯らしは・・・」
 はったりにも動じない人足達に男は舌を鳴らすと、向こうの方で喧嘩が始まった。野次馬根性でたちまち人だかりが出来る。一部の人足達も荷物そっちのけで人垣に加わり囃し立てるが、終いには一緒になって殴り合ってる始末。
「あぁぁ、もう何やってんだよ。」
 男は頭を抱えて頸を振った。
 町には船を求めて多くの人々が集まっていた。場所さえあれば荷が在り、人の姿が在り、商談を進める人の姿が在る。その取引に利を求める者達が集まり、それを当て込んで様々な人々が群がり富が動く。当然、歓迎されない人種も入り込んで来る。ごろつき、博徒、密輸業、泥棒、詐欺師、王府の役人。中身はどうあれ人の欲望を総て包み込んで街は賑わいを見せる。特に此の時季は冬の間に滞った荷が一斉に動き出す季節だ。ソルウェイ河は大河である。冬でも完全に凍結する事は無いので船の航行は可能である。しかし陸路が塞がれていたのでは荷の集積も儘ならず、また出ても行かないとなればしもの大動脈も機能不全。その反動で春の港はとんだ乱痴気騒ぎだ。
「キリーさん、こっちの方も見てやってくださいよ。」
 船尾から部下の水夫の叫び声が飛ぶ。キリーと呼ばれた男は息つく暇も無いのかと恨みがましい顔つきになった。が、それも役目と仕方なく行ってみれば、船尾の甲板にもまだ片付かない荷物が山と積まれていた。
「こりゃ一体何だ、さっさと片付けろ。早くしねえと風向きが変っちまうぞ。」
 キリーはマストを見上げた。旗は穏やかに北東へと流れている。南へ向かうには決して最良の風とは言えなかったが、しかし此の時季の風はより南から吹いて来る。ソルウェイは大河と言えど川は川。海のそれとは違い中洲や浅瀬があちこちに在り、しかもその位置は常に変化している。風を頼りに大型船をジグザグに進めるのは不可能に近く、川上に向かい風では航行は人手に頼るしかなくなる。櫂で大型船を遡上させるのは余りに重労働だ。なればこそ此の風の内に出港したかった。
「だから人が足らないんですって。」
 若い水夫は言う。キリーのせっかちは今に始まった訳ではないのだが、それでもまともに応じてしまう生真面目な男だ。キリーはぼさぼさ頭をがりがりと搔いた。
「で?用件は何だ?」
「それがですね・・・」
 水夫は人の胸まである大きな木箱を幾つかぽんぽんと叩いた。
「あーん?何なんだこの馬鹿でかいのは?」
「これを急ぎでカービスまで運べって言うんですよ。」
「船倉に空きは在るのか?」
「在る筈ありません。」
「馬鹿言ってんじゃねーよ、空きが無えのにどうやってこのでかいのを。」
 キリーの怒鳴り声に頸を竦めた水夫だったが、片目を開けて上目使いに
「フィルツェんとこのダルトの野郎なんですよ、ねじ込んで来たのは。」
「何だと!?」
「勝手に甲板まで上がって来ましてね、どうもこうもあったもんじゃない。」
「クソったれが!」
 キリーは木箱に拳を叩き付けた。
 フィルツェとはレネダリアのリールの町に本拠を構える大豪商である。レネダリアのカービスの港町はそもそもリールの外港として発展した町であり、リールの町とは切っても切れない関係に在る。そのリールきっての有力者ともなればソルウェイの水運にも相当な発言力を有しており、決して無視出来ない存在であった。強い権力を背景とした商売上の横車や、時に無理難題を持ちかけて来るやり方に反感を抱いている者は多い。またその様な位であるから悪い噂も絶えないのだが、それでもフィルツェ家に睨まれるのは商売の足かせとなる事もあってか、あからさまに批難する者は無かったし出来なかった。それはキリーとて同様だった。いや彼自身は良い。が、自身は良くても親方であるムーア・オールドの立場を想えば無下に断る事も出来ないではないか。
「しょうがねぇ、アマン商会の荷は此の次だ。」
「良いんですかい?」
「良いも何もフィルツェのごり押しじゃしょうがねぇだろ。アマンの爺には後で頭下げとくわ。こいつは人足総動員してでも運んどけ。」
 キリーは忌々しげに荷箱を見遣った。
「ダルトの野郎、どうやって運び込みやがったんだ、こんな大荷物。」
「さあ。気がついた時には置いてあったんで。」
「それにしても馬鹿でかい箱だぜ、牛でも入れてるんじゃねえか?」
 キリーはそれを思い切り蹴飛ばした
「後で牛飼いから苦情が来やしませんかい?」
 水夫が苦笑して言う。
「知った事か。」
 本当に呻き声が聞こえた様な気もしたが、後追ってつま先に染み渡る痛みでそれどころでは無い。遣り過ぎたとキリーが手摺に腕をついて脂汗を零せば、それを見た人足達は大笑いだ。
「てめえら、ちったぁ慌てろ!」
 キリーは半ば八つ当たりで喚き散らす。だが、ふと甲板の下の人混みの中に懐かしい三人を見つけて目を丸くした。
「あいつ等・・・。」
「どうしたんです?」
 急に静かになったキリーに、水夫が不思議そうに尋ねる。
「おう、此処は任せる。」
「任せる・・・って、キリーさん。」
 慌てる水夫を押し退けてキリーは甲板を降りて行った。

 港を右手に眺めつつ浅瀬に架かる橋を渡ると、道の両側に並ぶ商店から呼び子達が次々と声を掛けて来る。ルディーナはそれを軽くあしらいながら奥に在る通商ギルドの扉を叩いた。扉を開けた男は、身なりの整った彼女を見ると愛想笑いを浮かべて奥へと誘う。猫の手すら惜しい繁忙期でありながら、随分と丁寧な対処だ。
『馬の調達も儘ならなかったものがな。』
 つい半年前は、軍需を見越した売り渋りの所為でルディーナも随分な目にあったものだ。しかし商人達も、辺境での戦闘が思いもかけず深刻な状況であった事で売りそびれ、そしてこれまた思いもかけず短期間で終了してしまった事で売り損ねた・・・つまりすっかり儲け損ねて在庫を抱えてしまったのであろう。
『強欲商人共にはいい薬だ。』
「お客様には本日はどの様なご用件で?」
 一方、一足先に港に入ったセレネス達は猥雑な波止場の風景を眺めていた。桟橋に係留された船を見上げればどれも慌しく、声を掛けても一見の客人になど気を配る余裕は無いらしい。
「久しぶりだと駄目ですね。」
 セレネスは持て余して頭を搔く。気の良さそうな若い水夫を巧く丸め込んで話し込んでいるキャシーやルデルとは偉い違いだ。
「まあ、キャシーはあれで傭兵あがりだからな。」
 グレンが言うと
「あなたは会話に遊びが無いのですよ。」
 イレイアは穏やかに笑った。
「下戸のドワーフ、景気はどうだ?」
 聞き覚えのある声がした。グレンは記憶を探り、声のした方に顔を向ける。そして人混みを掻き分け現れた人物に驚きの表情を浮かべた。目の前に現れた長身のぼさぼさ頭は、嘗てレネダリアで生死を共にした男ではないか。グレンは破顔してその肩を叩いた。
「何と、まさか貴様に会おうとは。まだ生きておったのか。」
 グレンが憎まれ口を叩くと
「くたばり損ないのジジイのどの口が言うんだ、どの口が。」
 キリーはグレンの頬を両手で掴み手加減無しで引っ張った。
「痛いわ。」
グレンは顔を顰め、その手を叩いて払いのける。
「まったく、相変らず先人に対する礼儀を知らん奴。」
「それ以前の様な気もしますが。」
「お前も変らず他人事だな。」
 イレイアの言葉にキリーはからからと笑った。
「で、何の用だ?まさか最後の宴席の酒代の取立てでもあるまい?」
 グレンはぶっきらぼうに言い放つ。キリーは一瞬頸を傾げたが、ふと思い当たったのかポンと手を打った。
「思い出した、飲み逃げしやがって。あの時の金払え。」
 薮蛇と言う奴である。要らん事を言ったとグレンは口をへの字に曲げるが、巾着袋を取り出した。
「幾らだ?」
「あー、4シルビング(※1)と2カーシング(※2)だ。」
「たかが安宿の飲み代が何でその額になるんだ?」
 グレンは憮然とする。
「十年分の利息に決ってるだろ。俺は計算は速えんだ。」
「呆れたもんだ、ぼったくりおって。」
「相場だろ。」
「どうだかな。」
 グレンが銀貨四枚を次々と弾くとキリーは器用に片手で四枚とも受け止めた。
「2カーシング足らねえよ。」
「出鱈目利息の端数だろうが。2カーシングごとき端金でけちけちするでないわ。」
「その端金の小銭をけちっといてよく言うぜ。」
 グレンはむっとして袋の中を探るが、生憎銅も錫も持ち合わせが無い。わなわなと震わせた手でもう一枚銀貨を取り出すと、キリーの差し出した手に叩き付けた。
「ごっつぉさん。」
 まさかに此の遣り取りで釣りを寄こせと言えないのがグレンのグレンたるところ。それを知ってかキリーはニヤニヤしている。
「時に、お前等船探しか?」
「ええ。今、連れがギルドの事務所に行ってますが。」
 セレネスが答える。
「ご愁傷様だな。売物は腐る程在るだろうが、直ぐの船はまず無えぞ。」
「そうなんですか。ああ、そう言えばキリーはカービスの船主の所に居るって言ってましたね。」
「ん?そこで荷積みしてるのがうちの所の船だ。」
 キリーは直ぐそこの船を指し示す。
「なら丁度良い。カービスまで乗せては貰えませんか?」
「そりゃ無理だ。俺の所も船室に空きが無え。水夫共と雑魚寝でも良ければって言いてえところだが・・・」
「構いませんよ。」
 イレイアが言う。
「いや、そっちは良くてもこっちが拙いんだわ。野郎ばかりの水夫に若い女は毒なんでな。」
「では何処か口を利いていただけませんかね。」
「役人みたいな答えで悪いが、此の時期に急に言われてもなぁ。」
 ふと、キリーは他の船に目を遣る。丁度知り合いの船の行く先が同じだ。
「此の様子じゃルーも空振って来るわね。何処も満員よ。」
「次の船だと三日後の入港だそうだ。此処で待つより宿を確保しておいた方が良くはないか?」
 キリーが見ている船の方からキャシーとルデルが戻って来て半ば諦め口調で言う。
「メルルん所の船だな。」
「女だてらに船長なんて珍しいじゃない。」
 キャシーはこういう場には慣れているのだろう。見知らぬキリーの呟きを拾って自然に応じた。
「女だけなら船長の部屋に押し込めなくもないか。」
「何なの?」
「この旦那が船を世話してくれるとよ。」
 グレンがキリーの肩に手を置くと、キリーはグレンの頭を掴んで無理やり後ろに引っ込めた。
「女は二人か?」
「三人。」
「ん、まあ三人位ならメルルも否とは言うめえ。掛け合ってやる。待ってろ。」
「うちは六人所帯よ。」
「男共はこっちの水夫部屋の隅で我慢してもらうわな。出港は一日違いだろうから、目的地まではしばしのお別れってところだがな。」
 キリーの言葉を受けてセレネスはイレイアを見る。この際だから仕方が無いとイレイアも頷いた。
「誰?」
 船の方へと歩いて行くキリーを見遣りキャシーは尋ねる。
「昔の仲間でな、キリー・レステルっちゅうろくでなしだ。」
「風のレステル!?」
「態度はあんなですが、面倒見は良い人ですよ。」
 イレイアは、鷲掴みにされてぐしゃぐしゃのグレンの頭に手櫛を入れる。
「エルンの七雄の一人じゃないの。」
「その呼び名は好きではありませんがね。」
 セレネスが釘を刺す。
「あなた達って皆して七雄って呼ばれるのを嫌がるのね。」
「そりゃあ、戦争なんぞ良い想い出でも何でもありゃぁせんわ。」
「そんなもの?」

 少しカビ臭い匂いが漂う。錆びかけたドアノブが回され、扉が重く軋む音を発てながら開いた。
「汚いわね、馬だってもう少し増しな所に入れるわよ。」
 キャシーは部屋を見て遠慮もへったくれも無く毒づいた。
「何処も同じ様なもんさ。まだ男共と一緒の部屋じゃないだけ有難がって欲しいもんだね。」
 メルルは女船長である。荒くれの水夫や人足を使いこなすだけあってなかなかどうして練れた女だ。彼女は自分の部屋に悪態を付いたキャシーに怒るでもなく、素直な感想だとばかりに笑い飛ばす。
「当たり前でしょう。あんな野獣みたいな水夫と一緒じゃ夜もおちおち寝られないわ。」
「もっともだ。でもあいつ等の助平根性を軽く見ない方が良いわ。そうとなったらあいつ等、あたしの部屋だろうが諦めないよ。」
「入って来たら股間の物切り飛ばして良い?」
「ハハハハハ、キリーの阿呆から言われた時には何処のお嬢様を押し付けられるかと思ったけど、そこまで言える玉なら安心だね。」
 メルルは豪快に笑ってキャシーとイレイアに袋を投げて寄こした。
「ハンモックだ。適当にその辺に吊るして寝な。客船じゃないんだから諦めておくれ。」
 彼女は窓から外に顔を出すと、集っていた水夫達に指示を飛ばした。追い飛ばす様に一通り指図した後、周りを見回し、そして船室に顔を戻す。
「ところで、後一人の黒髪の別嬪さんは何処へ行ったんだい?」
「すみません。それが、どうやらあちらの船に乗った様です。」
 イレイアが答えた。
「はぁ?」
「何ですって?」
 キャシーとメルルは顔を見合わせる。
「ルーって不条理を言う人ではなかったわよね。」
「そう思います。」
「あんな獣ばかりのところによくまあ・・・」
「猛獣使いが言っても説得力無いけどね。」
「上手い事言うねぇ。」
 メルルはキャシーの背中をドンと叩いた。
 その猛獣ばかりの船室の隅でルディーナは剣を抱えて座っていた。猛獣、もとい水夫達は少し距離を置いて垣根を作るが、キリーにどやされそれぞれの持ち場に散って行く。頭をがりがりと搔きながらキリーは何か言おうとしたが、しかし言いそびれて出て行った。
「全く人迷惑な客がいたもんだな。」
 隣に座るルデルが皮肉を言う。それを一度横目で見遣り、ルディーナは
「笑いながらの言葉では説得力もありますまい。」
 小さく応えた。
「私が面白がっているとでも言うのか?」
「立場ある者が居を動かすという事が周りの人間をどれだけ振り回すか、お考え下さい。」
「ふん、勝手に付いて来た癖に。」
「それは私の台詞です。」
「セレネスは我が師だ。弟子が付いて来て何が悪い。」
「そう思われている訳でもなさそうですが。」
「全うに教えてくれるばかりが師ではない。」
 と言いつつ剥れるルデルを尻目に、ルディーナは腰を上げて船室を出た。日は沈みかけ雲が赤く染まっている。彼女は船側の手摺に凭れかかり肘を置いた。目の前の樽の上に黒猫が寝そべっていた。ルディーナはそっと手を伸ばす。黒猫は飛び降り走り去る。それをセレネスが抱き上げた。
「宮仕えの辛いところですね。」
「やはり素性を知ってたのね。油断のならない方。」
「知りませんよ。ただ、クリスタル・ブランチのメンバーを振り回す人物の名は余り思い浮かびませんでね。」
「これはとんだ薮蛇だったかしら。」
 ルディーナは澄まして髪を掻き上げた。
「で、望みは?」
「あなたの思惑が私に関わりの無いものである以上、私は何も望みません。ルデルとの関わり方も今まで以上にはならないでしょうね。」
「ではあなたの思惑は何なの?」
 ルディーナはセレネスの目を覗き込む様に見た。
「あなた方と直接関わるものでは無いとだけ答えておきましょう。」
「こちらの関係を知ってそう言うのはちょっと卑怯じゃないかしら。」
「安心してください。私はそういう事には『疎い』のです。」
 そしてセレネスは黒猫の頭を撫ぜる。猫は目を細めて喉を鳴らした。
「狡いわね。」
 ルディーナは微かに眉を顰めた。

 ポーの港からソルウェイ河を遡ると、直ぐにカレドニア山脈を大きく東に迂回してレネダリアの高地との間をすり抜ける。此の区画は比較的川幅も狭く、流れもやや速い。遡上する船にはちょっとした難所だ。長く佇んでいた夕日が沈み、行き交う船の影も薄闇に消えた。風は北寄りのそれに変り、順風なのは良いが、冷たい空気は温かい川の水に触れて辺りに白いものを漂わせ始めた。
「厄介な霧だな。」
 マストの上で見張りの水夫は自らの両腕を掴み身を震わせた。月の冷光はおぼろに滲み、視界が霞む。目を瞑っても通れるなどと豪語してはみても、視界を閉ざされれば思いもかけぬ事態も起こりうる。普段なら難なく擦違う船も、気付くのが遅ければ大事故にもなりかねない。彼は見張りの目を増やそうと網梯子を降り掛けた。と、降り掛けたところで船の先端に点る微かな光を見つけた。
「おいおい、エルモスの灯明かよ。」
 それは嵐の予告である。すは大変と急いだ彼の喉に短刀が突き刺さった。声を上げる間もなく水夫はネットを転げ落ちた。
「やれやれ、クソ狭い箱の中に丸二日とは頭も酷え事命じてくれるぜ。」
 男は強張った肩を慣らしながらぼやく。
「全くだ。」
 足元の船倉から別の男が這い出して来た。どちらにしても真面な人相ではない。彼らは船の突端でカンテラを掲げる仲間の所に駆け寄ると、その先に目を凝らした。暗闇に明かりが点る。そこには幾艘もの小船が在った。男達が縄梯子を垂らすと寄せた小船から武装した者達が次々と乗り込んで来た。最後に一際大きい男が甲板に足を踏み入れる。彼は筋骨隆々とした肩を怒らせると眼光鋭く言い放った。
「相手はあのキリーだ、おめえら、気ぃ入れて掛れや。」
 取り巻く男達は頷いて一斉に抜刀した。
 静けさを切り裂いて絶叫が上がった。ルディーナは咄嗟に剣に手を伸ばした。休んでいた水夫達も何事かと体を起こす。ほぼ同時に扉が開き誰かが叫んだ。
「襲撃だ!」
「何時の間に?見張りはどうした?」
「ザンナがやられた。急げ!」
 水夫達は慌てて部屋を出るが、起き抜けの上にろくな武器も無い。手近な得物を手に応戦するが如何にも分が悪い。
 船長室からキリーが飛び出して来た。見回せば船は幾艘もの賊船に取り囲まれていた。賊が襲い掛かって来るや、彼はその大剣を振るう。賊の腕が剣を握った儘吹っ飛んだ。
「ロクト、テス、これ以上船を着けさせるな!」
 だが既に甲板にも賊がひしめいており、とても他に手が回る状況ではない。キリーは賊の群の中に飛び込んだ。一人、二人、三人を一瞬で切り伏せる。
「俺様の船に手ぇ出すたぁ随分と良い度胸じゃねぇか。」
 キリーは凍る様な目で賊を睨みつけ、言い放った。
 爆発音がして小船が一隻燃え上がった。更にもう一隻。ルデルが放った魔法の火球が賊ごと船を吹き飛ばしたのだ。ルデルは三隻目に狙いを定める。だが、突然背後に感じた気配に驚いて振り返った。ローブに身を包んだ男が立っていた。
「筋は悪くなさそうだな。」
 魔法使いは杖を突き出した。ルデルは心をガードするが、魔法がそれをすり抜けて来る。明らかに手遅れだ。意識が遠退き、膝が崩れる。ルディーナがそこに割って入った。黒いローブの男は音も無く跳び退る。代わりに賊が段平を振り翳して迫って来た。ルディーナは剣を一振させる。ミスリルの刃で段平ごと賊の首を飛ばすと、ルディーナは踵を返して片膝を折った。
「殿下!」
 死んではいない。傷も無い。魔力に当てられただけだ。だが安堵するも束の間、殺気を感じてルディーナは振り返った。賊が剣を振り上げ襲い掛かって来た。足元には気を失ったルデル。避ける訳には行かない。ルディーナは力任せに振り下ろされる段平を細身の剣で受けた。重さが足らない。賊の刃は勢いで細身の刃を押し遣り、ルディーナの肩に達した。深くは無い。が、決して浅くも無い。苦痛で自由を奪うには十分だ。苦悶の表情を浮かべるルディーナに、しかし賊が容赦する筈も無い。気力だけで一人を切り捨ててもまた次が来る。突進して来る賊の胸にミスリルの剣が突き刺さった。同時にルディーナは弾き飛ばされた。船の欄干に打ちつけられた細い体は、その儘川へと投げ出された。
 逆反りの剣を振り翳した賊の男が突然崩れる。セレネスの前の床に意識を失った賊が突っ伏した。そこにグレンが突進し更に一人切り伏せる。賊は僅かにひるむ様子を見せたが、数を頼みに逃げる様子は無い。
「セレネス、何とかならんか。」
 グレンは身構え、眼光で賊を牽制する。
「確かに此の儘では埒が明きませんね。此の船ごと吹き飛ばして良いなら出来なくも無いですが。」
「こんな時にふざけるな。」
 網が降って来た。グレンはそれを咄嗟に切り裂く。が、腕に絡み、頭に絡む。更にもう一枚、もう二枚。その時、賊の壁が割れて大男が現れた。
「なにを何時まで梃子摺ってやがる。」
 大男の手には血まみれの斧。皮製の胸当ては返り血でどす黒い。大男は甲板に横たわる部下の骸を見るや
「死体、死体、死体。どいつもこいつも何て様だ!!」
 泡を飛ばして怒鳴り散らした。
「あなたが頭目ですか。」
「あーん、だからどうした?」
 首領は狂気を孕んだ目でセレネス達を睨み付けた。セレネスは杖を向けるが、それを強力な魔力が阻む。首領の後ろのローブの男からだ。
『唯の賊ではない。』
 なかなかの術師だ。
「レネダリア・グラス・・・の亜流ですね。」
 セレネスは呟く様に言う。ローブの男がニヤリと笑った。
 セレネスは首領に向けて金貨を放った。
「何の真似だ、あぁ?」
 首領は金貨を受け止めて首を傾げた。
「誰に雇われたかは知りませんが、こちらはそれ以上出すといってるのですよ。」
「この期に及んで何言いやがる。取引なんぞしなくたってもうみんな俺の物なんだよ。」
 首領は鼻で笑って合図した。次の瞬間、セレネスは頭部を強固な物で殴られた。

 川賊の船が岩を迂回し入り江に入る。そこは一見何気ない漁村の様であった。しかし大きな岩の陰からはその場に似合わない幾多の商船が現れる。船には一隻を除いて人影は無く、ただ、所々に赤黒い染みが張り付いていた。見る者が見たならば気付くであろう。それらは此処一年の間にソルウェイ河で消えた船であると。
「てめえら、奴等を牢にぶち込んどけ。ぐずぐずするんじゃねぇ!」
 首領は手下に怒鳴り散らしながら船を下りた。ふいに足元に転がり込んだ空ジョッキを蹴り飛ばすが、上手く当たらず更に癇癪を拗らせる。そしてたまたま通りかかった手下の小男の襟首を掴み上げた。
「おい、報告はどうした、こっちは何人やられた?」
「へ、へぇ、正確に数えた訳じゃねえんですが、まあ、一言で言やぁ山程ってやつですかね。」
 手下はへらへらと応える。首領は額に青筋を立てて小男を放り投げた。派手に水しぶきが上がった。
「あれだけ準備して何て体たらくだ。はらわたが煮えくり返るわ!」
 首領は怒鳴り散らす。それを初老の男が迎えた。紺の衣服に白い襟飾り。賊の集団の中にあって唯一人身なりが整っている。
「ガノ、仕事を終えたばかりと言うのに随分と機嫌が悪いな。」
「当たり前だ、一体どれだけやられたと思っている?」
「その様子だと手酷く噛まれたらしいな。」
「何が細工は流々、後は実行するだけだ?襲撃船は丸焼け、手下共は死体の山。どえらい損失だ!」
「相手はあの『風のレステル』だ、そう易々行く訳もなかろうが。損失は始めから覚悟の筈。」
「ケッ、ダルト、この落とし前は付けて貰うからな。」
逆上のぼせるな、誰のお陰で仕事が出来ると思ってるんだ?」
 ガノと呼ばれた首領は目を吊り上げてダルトと呼んだ男の襟元を手繰り寄せた。
「てめえこそ付け上がるな。俺は俺の力でやってる。気に入らなければ何時だって手を切って良いんだぜ。」
 ガノはぞんざいに手を離して建物の中に入って行った。そして椅子にふんぞり返り、酒瓶をラッパ飲みにする。手下が持って来た長剣を引っ手繰る様に受け取ると、それを立てて舐める様に見遣った。
「これがキリーの『風斬り』ってやつか。」
「へぃ、確かにキリーの野郎が握ってた剣です。柄の所にシルフの絵柄が彫ってありやすし、間違いはねぇでしょう。」
「切れぬ物は無いと言う魔剣よな。」
 ダルトが頷いた。
「そりゃぁ良い。」
 ガノはにんまりして剣を引き抜くと、傍らに置いた酒瓶に斬り付けた。すると瓶は派手な音を発てて砕け散った。
「ん?」
 ガノは怪訝そうに剣を見つめた。彼は手下の一人に板を持たせ、いきなり斬り付けた。首を竦めて生きた心地もしない手下の目の前で、しかしそれは板を抉っただけで見事に止まっているではないか。
「どういう事ですかい、こりゃ。」
「とんだなまくらじゃねぇか。」
 ガノは声を怒らせ、ダルトを睨みつける。ダルトは慌てて後ずさる。
「し、知らん。確かに奴の剣だ。間違いは無い。」
「現に斬れんだろうが。何が『風斬り』だ、切れぬ物は無いだ。ふざけるなや。」
 ガノは再び癇癪を起こして周りの調度品に当り散らした。戸棚はひっくり返り、テーブルは足が折れて天板が転がり出す。挙句、叩き付けた剣が木の柱にガッと音を発ててめり込んだ。そうなると今度は引き抜くのに一苦労だ。
「キリーの野郎め、楽に死ねると思うなよ。」
 ガノは拳を震わせる。
「まさか、生かしてあるのか?さっさと始末してしまえと言っといたろうが。」
 ダルトは眉を顰めるが
「明日は面白えもの見せてやるぜ。」
 ガノは取り合わない。手下達はざわめいた。
「あんな事言い出すから無駄に死人が増えるんだよなぁ。」
 そんな手下のボヤキを耳ざとく拾ったガノは鞘に収めた剣を投げつけた。
「俺のやり方に口出しすんのか?。」
「いえ、そんな・・・」
「ならさっさと『虫籠』の用意をしやがれ。」
「こ、こいつはどうしやす?」
 投げつけられた男が鼻血を拭きながら尋ねる。
「そんな鈍ら、他の荷物と一緒に納屋にでも放り込んどけ。まったく・・・」
 ガノは憤懣遣る方無くどっかと座りなおした。



※1: シルビング・・・フィンディニアの通貨の基準単位。
※2: カーシング・・・シルビングの百分の一の通貨単位。
  金貨・・・10シルビング
  銀貨・・・・1シルビング
  錫貨・・・10カーシング
  銅貨・・・・1カーシング
 それぞれの硬貨の重量はほぼ同じと言って良い。
 此の他にも青銅(錫と銅)や朧銀(銀と銅)、エレクトラム(金と銀)等の合金の硬貨も存在するが、材質や割合により額面が違うだけで硬貨一個当りの重量はほぼ同じ。もっとも、合金貨幣の流通量は然程多くない。
 銀貨や銅貨が金貨に対して割高になっているのは、紙幣が存在しない(価値が無い)為に、流通貨幣としての需要が多い為である。金貨は額面が大きくなり過ぎる為に我々の感覚と比べると意外と価値が低い。尚、此の世界での相場であり、各金属の産出量が額面に比例している訳ではないのは我々の世界と同じ。
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NoTitle

お久しぶりです。やっとシャノン・アルスターの続き読みに来られた……!
ちと仕事が忙しくて疲弊しておりました。
この世界は本当に美しくて戻ってくるとホッとします。

とはいえ、またまたトラブルに巻き込まれておりますね。
冒険も新しい局面に入り、どう動いていくのか楽しみにしております。
謎の荷物の中身も気になる!

椿様へ

 こんにちは。コメントありがとうございます。
 お忙しい中、態々わたくしめの駄文を読んで頂きありがとうございます。が、更新が滞っておりまして申し訳ナッシングです。物語にトラブルはつきもの。無くちゃ始まらないので無理やりにでもトラブルに巻き込むのであります。ちなみに箱はトロイの木馬でございます。特に何の謎も無い罠orz
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